中国地方へ    2015.07.24

   ● シベリアンハスキー 「めい」ちゃんのおさんぽ avec 「まい」 (ブログ)にも別バージョンがあります。

 


 2015年07月18日(土)06:00
  昨日寝ていたら、乗用車スペースに古い大型トラックが来てエンジン音が全駐車場内に聞こえる程うるさくて、目が覚めてしまいました。
  一旦気になりだすと眠れなくなり、予め決めていた車中泊第2候補である近くの道の駅 燕趙園に移動する事にしました。
  一夜が明けると台風一過でよいお天気になり、昨日の雨が嘘のようです。


 ●道の駅 燕趙園
  友好都市(姉妹都市)である鳥取県と中国河北省の友好のシンボルとして平成7年(1995年)に鳥取県が25億円をかけて建設しました。
  庭園名は河北省にあった古国燕と趙に因む。山陰八景の東郷池(東郷湖)の南に立地し、東郷池(東郷湖)を借景として取り込む総面
 積10,000m2の皇家園林方式の中国庭園となっています。
 
 早朝、大きな駐車場には車は1台も泊まっていません。こちらは以前夜間に来た時もそうでしたが、静かな良い場所なのに少し驚きです。
 (3回目にして始めてこちらの道の駅のトイレの場所が分かりましたが、明るい時でも見つけにくい場所で敬遠されたかなぁ...)
 

 ●曹洞宗 萬祥山 大岳院
  1605年に開創された曹洞宗の名刹で、境内には、「南総里見八犬伝」のモデルとなった安房国(千葉県)館山城最後の城主、里見安房
 守忠義と8人の家臣が葬られてます。忠義は29歳の若さでこの世を去りましが、倉吉には8年間在住し、その折りに寄進したと伝えられる
 「三彩稜花刻花文盤(さんさいりょうか こっかもんばん)」が今も秘蔵されています。
 
  あまり大きなお寺ではありませんが、8台位止めれそうな駐車場もあります。基本は白壁土蔵群の散策コースです。
 
  まずは旅の安全とワンコの健康祈願をしてから、八犬の石像を探します。
 
  それぞれ40cm位の石造ですが、1頭は少し見つけにくい場所にいました。
 
  里美家墓所に向かって静かに、8頭のワンコがお墓を見守っていました。

  あまり霊感はありませんが、小さなお寺なのに異様に重苦しい感じがするお寺で、ご利益がありそうです。
 

 『南総里見八犬伝』のあらすじ
  江戸時代の文豪曲亭馬琴が28年もの年月をかけて著した長編小説で、戦国時代に安房の地を活躍の拠点にした房総里見氏の歴史
 を題材にしており、けっして歴史事実にはこだわらず、そのすべてが新たに創作されたものです。

  この物語の主題は、「勧善懲悪・因果応報」にあり、悲劇の最期を遂げた里見氏をはじめ安房地方の善良なる人々などをとりあげて、
 馬琴の意のままに大活躍させる爽快な小説になっています。

  物語は、結城の戦いに敗れた若武者里見義実(よしざね)が、安房へ落ち延びる場面からはじまり、やがて安房国滝田の城主になった
 義実は、隣国の館山城主安西景連の攻撃に遭います。

  愛犬八房の働きによって敵将景連は討ち取ったものの、その功績で八房は伏姫を連れて富山の洞窟にこもり、姫を取り戻しにきた許
 婚の金碗大輔は、鉄砲で八房を撃ち殺すが、伏姫にも傷を負わせてしまいます。

  八房の気を感じて懐妊してしまっていた伏姫は、身の純潔を証するため、大輔と父義実が見守るなか、自害してしまいます。

  このとき、伏姫が幼い頃に役の行者から授かっていた護身の数珠から八つの玉が飛び散り、この玉が八方へ飛んで、仁・義・礼・智・忠
 ・信・孝・悌の霊玉を持つ八犬士が登場してくることになります。

  こののち、金碗大輔は出家してゝ大(ちゅだい)法師となり、飛び散った八つの玉の行方をもとめて旅に出る。伏姫の子供ともいえる八
 犬士たちは、それぞれ思いがけないところで出会い、はなばなしく活躍します。

  八犬士たちとめぐり会ったゝ大法師こと金碗大輔は、二十数年ぶりに八人を里見義実のもとへ連れ帰り、里見家の家臣として里見家
 の危難を救った八犬士は、義実の八人の孫娘をそれぞれ娶ります。

  その後、子どもたちに家督を譲ってからは、富山の山中へ姿をかくして仙人になったというお話です。
 

 ●白壁土蔵群
  玉川沿いに並ぶ白壁土蔵群は江戸、明治期に建てられた建物が多く、今でも当時の面影を見る事が出来、玉川に架けられた石橋
 や、赤瓦に白い漆喰壁の落ちついた風情のある街並みを歩く事が出来ます。
 
  看板横にハスキーの甲冑姿の写真がありました。知ってるワンコかなぁ....
 
  早朝なので、観光客もまだ歩いていませんのでゆっくり散策します。
 
  用水路には丸々太った鯉が泳いでいましたが、津和野の鯉のように、これでもかと言うくらい太っておらず、不細工ではありません。
 
  「カルガモ飛び出し注意」 、こちらの小さな用水路にはカルガモの親子が暮らしていました。(餌になるものはあるのかなぁ?)
 
  朝の空いている時間で観光客も居らず、地元のお散歩ワンコも1頭だけしか出会いませんでした。
  前回は夜間に来たので、駐車場や観光場所が良くわからず観光できませんでしたが、今回はしっかり観光できました。
  おまけに白壁土蔵の周りの駐車場は大小色々あり、殆ど無料なので助かります。
 

 ●大山へ
  倉吉の観光も無事終わり、ここからは大山に向かいます。
  昨年に来た山開きのお祭り、今年はお母さんの入院騒動で山開きには来れませんでしたが、いつ来ても景色の良いお山です。
 
  お天気が良いのでエアコンをつけていても、ワンコは暑いようです。
 

 ●大山情報館
  大山寺のバス停横にある総合情報提供施設で、1階は定期バスや冬季間のシャトルバスの待合所があります。また、県道に面する2
 階は大山町の観光案内所と情報提供機能を持った休憩室となっています。
  この施設の特徴は、トイレを始め全てがバリヤフリー対応で、1階にはご利用自由の更衣室、2階にはお湯を常備した授乳室を備えて
 おり、施設壁材には大山町産の赤松、外壁には大山の安山岩を使用、電力の一部は太陽光発電でまかなうなど大山の自然豊かな大山
 町ならではの地元材の利用や環境への配慮も忘れていません。
 
  昨年山開きで車中泊した場所ですが、ワンコも場所を覚えていたようで、斜面の芝生広場でお散歩休憩しました。
 

 ●大山寺
  大山信仰の始まりは約1300年以上も前に行者達の荒修行の場として崇拝され、奈良時代となる718年、金連上人によって「大山寺」が
 開創・創建されたことに始まります。
  平安時代になると天台宗の寺院が次々と建立され、鎌倉時代から室町時代にかけての大山寺は隆盛を極めましたが、その後は、高野
 山金剛峯寺(和歌山県)や比叡山延暦寺(滋賀県)と並ぶ大寺となり、「大山僧兵3000人」と言われるほどの勢力になりました。
  その後衰退し、現在は4つの参拝堂と10の支院を残すのみとなっています。
 
  まずは大山寺に旅の安全をお願いに急坂を登ります。受付に聞くとワンコOKとの事でしたので更に奥へ階段を登ります。
 
  お参りを済ませてから、圓流院(円流院)へ車で移動します。 (こちらに鬼太郎の天井画があると思っていましたが、別院でした。)
 


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